GrahamSchoolwear社という名でスポーツウエア・メーカーとしてスタートしたのは1906年。GYMPHLEXというブランドとしては、1936年にイギリスの中部に位置するレスター市で国軍に体育用のショートパンツを提供することから始まる。1900年代半ばは、国民兵役が義務であり、政府は運動を積極的に推奨していたため、学校では体育が最重要科目でした。その当時から学校への体育着を販売し始め、GYMPHLEXは体育の場には欠かせないブランドとなった。1960年代に入り、学校はもちろん、スポーツショップや百貨店にまで販路を広げ、スポーツウエア・ブランドとして確固たる地位を築いた。2010年クリエイティブ・ディレクターにディーン・ウェブスター氏が就任。2010秋冬よりインターナショナル・コレクション「ONE NINE ZERO SIX(1906)」を発表。
1858年 | James Greenlees氏により、Greenlees &Sons FootwearLtd が設立される。 後に英国内に300店舗を持つ靴屋となった。 |
1869年 | James & Samuel Greenlees兄弟によりOld Parr Whisky蒸留製造所(オールド・パー)が設立される。日本に初めて紹介されたといわれるウイスキー「オールド・パー」の生みの親。 |
1906年 | James Gardner Graham氏によりスクールウエア、スクールスポーツウエアの製造販売をする。 Grahames School-wear社の設立。後にGYMPHLEXというブランドが誕生するまで、同社のウエアはGrahamGardnerネームで販売されていた。 |
1930年 | 英国テニスチームのキャプテンであった Bobby Meredith(ボビー・メレディス)がGYMPHLEXを着用。 |
1936年 | 製造業と小売業を別会社とすることを命じられたため、GYMPHLEXブランドが誕生した。 |
1939年? | 戦争のため、スクールウエアの生産が廃止され、GYMPHLEXは斜光カーテン、 陸軍省の訓練用ショートパンツ、 ATSスラックスの生産を請け負う。(?1941年) |
1940年 | クリケットの選手、Dennis Compton(デニス・コンプトン)がイングランド代表として プレーしたときにGYMPHLEX製品を着用。 |
1947年 | 英国代表スイミングチームがモンテ・カルトチャンピオンシップ大会でGYMPHLEXの水着を着用。 |
1948年 | オール・イングランド・ネットボール協会がユニフォームとしてGYM-PHLEXを選んだ。 |
1949年 | RYDER CUP(ゴルフの大会)でアメリカ・英国両チームにユニフォームを提供。 また、FA CUP(サッカー)のファイナリストとなった両チームにユニフォームを提供。 |
1950年 | アーセナルFC(サッカー)が決勝戦のユニフォームとしてGYMPHLEXを着用。 |
1959年 | 子供服ブランド 「LADYBIRD」の生産を請け負う。 |
1960年代 | 学校、スポーツショップ、百貨店への販売に力を入れ始め、販路の拡大を始める。 |
1963年 | George Greenless氏が社長に就任する |
1973年 | HORNCASTLEに自社工場を開設 |
1980年 | チャールズ皇太子が自身のポロチーム用のユニフォームとしてGY-MPHLEXを選ぶ。 |
1990年 | (株)ボーイズにより、日本でGYMPHLEX製品の販売が開始される。 |
2001年 | BURBERRYとBARBOURの生産を開始する。 |
2002年 | Margalet Howellの生産を開始する |
2003年 | James Greenless氏を社長に就任 |
2006年 | GYMPHLEX社創業100周年を迎える |
2011年 | GYMPHLEXによる初のメンズ・コレクション「1906(One Nine Zero Six)を立ち上げる。GYMPHLEXがこれまで作り続けてきたスポーツウエアから着想した、すべて英国製のコレクション。 |
日本国内総代理店 / (株)ボーイズ |